楽しい時間はここまでです。

墓泥棒のボーカル石井のブログ

歌詞紹介その8、『社会不適合者』

『社会不適合者』


ほら 気がつけば僕らは
また言い訳ばかりで
空見上げては 生まれついた星にさえ
唾を吐きかける

嫌だ 受け入れられないことが
あまりにも多過ぎて
ただ 生きてゆくことでさえ
窮屈で仕方ないと

被害者面で不満並べてるけど
一体誰に何の罪着せる気なの?

社会不適合者ばかりが
集まってできたこの社会で
敵も味方も自分次第
境界線を引いたのはどっちだい?


生まれた時代が悪かったの?
生まれた国が悪かったの?
人間じゃなければ良かったの?
二次元に生まれりゃ良かったの?

叩けば埃出るのは皆同じ
埃まみれの顔 珍しくもない

社会不適合者ばかりが
集まってできたこの社会で
適も不適も自分次第
宿命を恨んだとて御門違い


社会不適合者の烙印
君に押したのは君自身で
誰も拒んでなんかいない
勝手に貼ったレッテル とっくに剥がれてる

社会不適合者ばかりが
集まってできたこの社会で
適も不適も気分次第
君に似合う場所 探せば何処かにある

歌詞紹介その7、『その後に』

『その後に』


素敵なものを手に入れた時
何か良いことがあった時
自分の本当の気持ちに気づくのは
いつだってそれが過ぎ去った後
"後悔"の2文字が思い出を余計に美化する

君の話を噂で聞いたんだ
知らない男と幸せそうにしてるってさ
自分の本当の気持ちに気づくのは
いつだってそれが過ぎ去った後
"過去があっての現在(いま)"だって
それぐらい分かってるのに...

ごめんね素直でいられなくて
本当の気持ちさえ分からなくて
君としたいこと 行きたい場所
今なら幾つも言えるのに

今度こそ 今度こそって
何遍も自分に言い聞かせて
それでもいつも思い知るのは
全てが終わったその後で

今気づいたんじゃ遅いよね
ごめんなさい


1年 1月 1分 1秒
いつだって 時は流れるのに
僕は置いてけぼり

別れて疲れてどうでもよくて
寂しくなってまた繰り返して
その時いつも思い出すのは
眩しかった君との日々

ごめんね素直でいられなくて
本当の気持ちさえ分からなくて
君としたいこと 行きたい場所
今なら幾つも言えるのに

今度こそ 今度こそって
何遍も自分に言い聞かせて
それでもいつも思い知るのは
全てが終わったその後で

今気づいたんじゃ遅いよね
ごめんなさい

なんにもできないくせに なにかをやろうとしてんだ

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3月12日、倉敷REDBOXにて、墓泥棒にとっての今年初ライブを行いました。



当ブログでも繰り返し書いてきた通り、今年の目標は「お客さんを呼べるバンドになること」です。

今回のライブでは、18人のお客さんに足を運んで頂くことができました。

おかげさまで、墓泥棒としては初めてチケットノルマをクリアすることができました。お越し下さった皆様、本当にありがとうございました。


とは言え、今回18人ものお客さんに来て頂くことができたのは「たまにしかライブをしないから」「最近お誘いしていなかった方々を久々にお誘いして、来て頂けたから」という要因が大きいと思います。

毎月毎月ライブをして、こんなに多くの方に来て頂くほどの人気は今の我々には絶対にありません。

今回は様々なプラスの要因が重なった、まぐれ当たりみたいなものだと思います。あるいはご祝儀的な。

真価が問われるのはこれからです。


果たして、今回のライブに来て下さった皆さんに「また来たい」と思って頂けるようなライブができたかどうか?

正直言うとかなりミスもありましたし、機材トラブルもあって見苦しい(聴き苦しい)点も多かったと思います。僕も、途中あまり声が出なかった部分があったりして、ライブの内容としては、はっきり言ってかなり不満が残りました。

せっかく今までに無いほど大勢のお客さんが見て下さっているのに、そのチャンスを活かせなかったことが情けなくて、ライブ後、自分達の不甲斐なさに怒りすら込み上げて来ました。

それは僕以外のメンバーも同様でした。

終わったことはどうにもならないですし、それを糧にして成長していくしか無いのですが、今回来て下さったお客さんが今後また来て下さるとは限らないので、ここで納得のいく結果が出せなかったことは本当に悔しいです。


ただ、ボロボロだった自己評価とは裏腹に、多くの方々からライブ後にお褒めの言葉を頂戴しました。

「前より音のバランスが良くて聴きやすかった」「歌詞が聴き取れた」「今までで一番ノリやすかった」等、自分達が変えていこうと意識して変えていった部分がちゃんとお客さんに伝わっていて、それは素直に嬉しかったです。

技術面やメンタル面が追いついていなくて、自分達が表現しようとしてるものが表現しきれていないのが非常にもどかしいのですが、目指そうとしている方向性に対して自信を深めるきっかけにはなったと思います。


もし、今回のライブで少しでも墓泥棒に魅力を感じて頂けたのたら、どうか追いかけ続けてみてほしいです。

絶対にもっと面白いライブができるバンドになりますので。

まぐれではなく真の実力で、大勢のお客さんが集まって来てくれるような輝きのあるバンドになれるまで、精進し続けます。


改めて、本当にありがとうございました。
石井

歌詞紹介その6、『ネガティヴ・ロマンチスト』

こんばんは。石井です。

今回は出来たてホヤホヤの新曲『ネガティヴ・ロマンチスト』の歌詞を初公開したいと思います。

それではご覧下さい。





『ネガティヴ・ロマンチスト』


君のお望みの逝き方はどれ?
鳥葬? 火葬? 埋葬?
何度祈りを捧げたところで
甦って歩き出してしまいそう

きっと僕はまだ君の奴隷
Just so l sold my soul.
変わり果てちまったはずの心で
歌い出すよ あの頃のように my song

破滅願望じゃない ただ 傷口に触れたい
この苦しみにも あの過ちにも
何かしらの意味があった
って思いたいだけ

ネガティヴ・ロマンチスト
そんでもってさらにマゾヒスト
幾千の針の山に
わざと飛び込んで行くんだ

ネガティヴ・ロマンチスト
気分はまるでジャーナリスト
すべて白日の下に
晒し出そうとしてるんだ oh yeah

罪の数だけ増えるボキャブラリー
背中に積み上げられたディクショナリー
危ない橋だけを渡るスタンプラリー
踏み外しでもすりゃそこで終わり

言葉が凶器なら 歌は兵器かな?
憂鬱な運命を 退屈な日常を
ぶちのめして 蜂の巣にして
笑ってたいだけ

ネガティヴ・ロマンチスト
そんでもってかなりナルシスト
なんにもできないくせに
なにかをやろうとしてんだ

ネガティヴ・ロマンチスト
その手口もはやテロリスト
自爆覚悟のスタイルで
なにか変えようとしてんだ

くじ引きみたいにして 掴まされた詞で
並べ替えた ありふれた歌
僕が歌えば 僕にとっては
それで素敵 僕は無敵
ってことにしたいだけ

ネガティヴ・ロマンチスト
そんでもってかなりナルシスト
なんにもできないくせに
なにかをやろうとしてんだ

ネガティヴ・ロマンチスト
今夜だけアーキオロジスト
君が眠るあの場所に
お宝を探しに行くんだ oh yeah





この曲は、このブログでもさんざん言ってきた
「今年の墓泥棒は昨年までの墓泥棒とは違うぞ。」
という意気込みを、煮詰めて煮詰めて出来上がった【第二の墓泥棒のテーマ】とでも呼ぶべき一曲です。

サビの一部のフレーズだけはかなり前から頭にあったものの、サビ以外が思い付かなかったため封印していたものを、この度ようやく引っ張り出すことが出来ました。

タイトルでありサビの歌い出しにある【ネガティヴ・ロマンチスト】とは、まさしく僕自身の人間性を指していて、けっこう的確な表現だと思っています。笑


『ゆ・め・み・が・ち ~墓泥棒のテーマ~』でも歌っているこのバンドの核となる部分を再解釈した歌詞になっていて、心のどこかに眠っている【葬り去った過去】や【押し殺した感情】を掘り起こすために冒険に出るような、後ろめたさもありつつ、でもどこかワクワクしてしまう、そんな気持ちを歌った歌です。

ようするに、墓を荒らしに行く歌ですね。笑


リズミカルで気分が高揚していく感じにしたかったので、未だかつて無いぐらいに韻を踏みまくっています。

また、普段なるべく歌詞に英文は使わないようにしてるんですが、どうしても「埋葬」と「my soul」を掛けたかったので英文を使用しました。

(「Just so I sold my soul.」和訳すると「ただ僕は魂を売った」という意味です)

そういった裏技のおかげもあってワクワク感はかなり出せたのではないかと自負しております。

ライブの際には、慣れない英詞をドヤ顔で歌う石井にもご注目ください。笑



…と、ライブの話が出たところで早速なのですが、明日のライブでこちらの『ネガティヴ・ロマンチスト』、初披露となります。

正直かなりの自信作ですので、是非とも多くの方に聴いていただきたいと思っております。



『Get A Grip!!』
@倉敷REDBOX
平成29年3月12日(日)
開場18:00 開演18:30
前売1,500円 当日2,000円

【出演】
レトロカラーコレクション(香川)
style free
Rough Doors
墓泥棒



墓泥棒はトップバッターで、18:30~の出演です。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。

歌詞紹介ブログのはずが最終的に告知になってしまいましたが、それだけ本気で来てほしいと思っています。

『ネガティヴ・ロマンチスト』のデビュー戦と墓泥棒の勝負の一年の始まりを、ぜひ見届けて下さい。待ってます。


石井でした。

歌詞紹介その5、『ありがとうが聴こえなくなったら』

石井です。

今回は歌詞紹介の第5弾。
『ありがとうが聴こえなくなったら』をご紹介します。
それでは歌詞をご覧下さい。





『ありがとうが聴こえなくなったら』


「ありがとう」が聴こえなくなったら
僕は真っ直ぐ歩けない
君だけだよ 進むべき道を
明るく照らしてくれるのは

いつもこんな時どうやって
君の笑顔取り戻せたんだろう?
いつもと同じように拗ねてみせて
僕のことを困らせてよ

また笑って会えるのなら
どんな願いも叶えるから
「あなたは何も悪くないの」なんて
止めてよ お願い

「ありがとう」って聴かせてほしいんだ
頼りない僕だけれど
君だけだよ 僕の使い道を
正しく教えてくれるのは

いつもこんな時どうやって
乗り越えて朝を迎えてたんだろう?
いつかと同じ君のいない夜
僕はまるで覚えてないよ

他愛ないすれ違いなら
「ごめんね」って切り出すから
「誰が悪いわけでもないの」なんて
そんなの要らない

「ありがとう」が聴こえなくなっても
僕が何度でも言うよ
「ありがとう」って言わせてほしいんだ
君が言わないとしても

僕だけだろ?君といた日々の
素晴らしさを知っているのは

また笑って会える日には
思い出してくれるかな
寄り添いながら見つめ合いながら
伝え合った言葉

また笑って会えるように
思い出してほしいんだ
認め合うように 確かめ合うように
重ねた「ありがとう」





僕の書く歌詞は自分自身の思ったことを切々と綴る【自分語り】が主となってる場合が多いのですが、この曲の歌詞は僕にしては珍しく、相手(君)に対して投げかけるような言葉が主となっています。

【言い切る】歌詞が僕の持ち味だと思っているのですが、この曲の場合は歌詞にも出てくる通り【お願い】の歌なので、だいぶ弱気というか軟弱な内容となっております。笑


決して元に戻ることがないと分かっている終わった恋に対する未練と感謝を歌った失恋ソングであると同時に、「ありがとう」という言葉の偉大さを歌った歌でもあります。

自分に向けられる「ありがとう」の【ありがたさ】に、皆さんは気づけているでしょうか。

失ってから気づいても、「ありがとう」を伝えたい相手は、もうそこにはいないかもしれませんよ(ドヤ顔)。


このような軟弱な歌詞でメロディーも切ない感じなのですが、墓泥棒では四つ打ちのノリノリなアレンジになっています。

弾き語りで歌うときはバラードなんですけど、「墓泥棒にはバラードそんなにいらんだろ」というバンド内需要の問題により、そういうアレンジになりました。笑

あと、ベースに木村くんが入った直後に作った曲だったので、「今までの墓泥棒ではやらなかったこと、出来なかったことをやりたい」という気持ちも強くありました。

結果として歌詞も曲調も、墓泥棒の他の楽曲群とは一線を画す内容の作品になったと思います。

それがバンドにとって良いことか悪いことかはさておき、わりとお褒めの言葉を頂戴することが多いので、結果オーライと言えるのではないでしょうか。笑


YouTubeにデモ音源を載せているので、興味を持っていただけましたら、聴いてもらえると嬉しいです。

https://youtu.be/noRDf68qXIw

以上、石井でした。

燃やしスペシャル

我々は今、燃えている。
燃え方が分かった、とも言える。

去年の、特に後半の墓泥棒には、どのように頑張れば良いのか分からないというような雰囲気があった。

だが、今年一年を石井のバンド人生を賭けた【勝負の年】と位置付けたことにより、明らかにバンド内の空気が変わってきた。

今年の目標である
「お客さんを呼べるバンドになる」
という目標に向かって、メンバー全員が一丸となって邁進しているのを日ごと実感している。


しかしながら、お客さんを呼ぶためにはメンバーだけが盛り上がっても仕方が無い。当然のことだが、来てくれるお客さんが存在しなければ集客が増えることは無い。

自分達がどれだけ熱く燃えても、周りに燃える物が何も無ければ、それ以上燃え広がることは決して無いのである。

「周りを巻き込んで燃え広がらせていく力」
その力が無ければ、きっと今の熱量は一過性のものに終わることだろう。

そして残念なことに今までの墓泥棒は、その力が非常に弱かった。それは、長年の活動経験から、一つの劣等感が染み付いていることに起因すると思われる。(ただし木村君は除く)


墓泥棒が活動を開始したのはまだ3年ほど前の話だが、僕とマロと田淵君は以前からバンド活動をしており、キャリアとしては既に10年ほど重ねている。

その間、それぞれ幾つかのバンドを経て何度もステージに立って来たが、キャリアが長い割には皆、岡山の音楽シーンにおいての知名度がとても低い。プロを目指してバリバリに活動するようなバンドに所属していなかったことを差し引いても、だ。

あまり社交的ではなかったり、馴れ合いを嫌う性格だったりという個人の因子もあるが、ようするに長年バンドをやってても「人気が出なかった」ということだ。

それなりに集客力のあるバンドに所属していた時期はあっても、そこを離れて個人になってしまえば全く無名の存在。それを痛感させられる内に、いつしか無意識のうちに自分自身にあるレッテルを貼ってしまうようになった。

それは、
【自分は客を呼べる演者ではない】
というレッテルである。


そんな卑屈なメンバー達が結集し、その劣等感はさらに増幅する。

自分達は良い音楽をやっているという自信はあるのに、いや、自信があるからこそ、周りの評価が全くついてこないという現実とのギャップに失望する。

そして、その現実を受け止めるために用意する理屈はこうだ。

「自分達は人気が出るタイプのバンドじゃないから。」

まさに身も蓋も無い。それを言ったらおしまいである。しかし残念なことに、去年までの墓泥棒にはこのような空気が蔓延していたのだ。誰も口には出さなかったが、集客に対するメンバーの消極的な態度がそれを証明していた。

生まれながらの敗者である墓泥棒というバンドは、集客に関して完全に「諦め」という感情に支配されていたのである。


確かに、どうせ断られるなら誘わない方がいいに決まっている。

ライブに誘うにはそれなりの労力がいるし、少しでも期待を持った相手に断られた場合、いくらかショックも受ける。また、乗り気ではない相手をあまりしつこく誘ってしまうと嫌われるというリスクも孕んでいる。人をライブに誘うというのは結構神経を使うのである。(ライブに限ったことではないが)

ただでさえ厄介なものである上に、我々は先述したようなレッテルを自身に貼っている。「自分の歌や演奏では客は喜ばないのではないか」という不安を抱えているのだ。

そんな人間が新規のお客さんを開拓するには、かなりの勇気が必要だ。来てくれる可能性が低いお客さんに対して声をかけるのは「恥ずかしい」と感じてしまう。お呼びでないと突き放されたり笑われたりすることを恐れてしまうからだ。

その結果どうなるか。ある程度の確率でライブに来てくれる繋がりの深いお客さんや、余計な遠慮のいらない気心の知れた友人しか誘わなくなる。リスクを負わず、最小限の努力しかしなくなる。

ライブ告知の方法も、労力が少なく、煙たがられる心配の少ないSNSでの発信などに限られ、それに対しても実質的な集客効果は期待しておらず「活動してますよ」ということをなんとなくアピールするだけで満足してしまう。

それこそがまさに、去年までの墓泥棒の姿である。


しかし、何度も繰り返しているように、今年の目標は「お客さんを呼べるバンドになる」ことだ。

文章の序盤で述べた通り、自分達が燃えるだけでなく、周りを巻き込んで炎を燃え広げさせていかなければ、この目標は到底達成できない。

現時点で周りに燃える物が少ない我々は、強い風を起こし、火の粉を巻き上げ、力ずくで火の手を拡大させていくしかないのだ。

それこそが、ある意味、音楽的な部分以上に我々がクリアしなければならない絶対条件なのである。


だからいつまでも、ちっぽけな劣等感に囚われているわけにはいかない。

笑われたっていい。無視されたっていい。一人でも多くのお客さんにライブに来てもらいたい。そのためには、幾ら断られたって何も恥ずかしくなんてない。

今まで誘わなかった人にも来てほしいと思えるぐらい良いものが見せられる自信があると、胸を張って言えるから。

きっと今はメンバーも僕と同じ気持ちだと思っている。


すでに僕をはじめ、メンバー皆が、今まであまりお誘いする機会の無かった方々に、3月12日のライブへのお誘いを直接お声かけさせてもらっているので、面食らっている人も大勢いらっしゃることだろう。

正直、迷惑に思われる方も少なからずいると思う。それでも、ほんの少しでも可能性があると思われる限りは、今後も性懲りもなくお声をかけさせていただく。

その裏には、今回のブログに記したような想いがあるのだということを、どうかご理解いただきたい。


ちなみに、どうしても嫌だと仰る方は「今後も絶対に墓泥棒のライブに行く気は無い」と名言してくださると、こちらとしても有り難い。

そんなこと言うやつの家には火をつけてやるからな。(嘘です)


以上、石井でした。

歌詞紹介その4、『カラコロ』

石井です。

歌詞紹介以外あまり書くことが無いことに気づき始めました。石井です。


第4弾は、墓泥棒結成当初の代表曲である渾身のド直球ラブバラード、『カラコロ』を紹介します。

それでは歌詞をご覧下さい。





『カラコロ』


明日、明後日のことは
僕にはわからない 見えない
十年、二十年先のことを
君は知らない 言えない

昨日と同じ愛の言葉
今日も繰り返すのは
昨日とは少し違う君と僕が
今日また愛し合うから

体のセックスよりもっと深いところで
君と繋がりたい
体のセックスよりもっと近い
心のセックスをしよう

きっと いつの時代になっても
争いは消えない 減らない
でも君と僕とが傷つけ合う理由は
どこにも無い 要らない

終わりの無い輪廻の途中に
たった百年の行きずり
救いようの無い生命の不条理に
臆すこともせずに
今日ただ愛し合うだけ

体のセックスよりもっと深いところで
君と繋がりたい
体のセックスよりもっと近い
心のセックスをしよう

理屈や道徳よりもっと深いところで
君と貫きたい
体のセックスよりもっと近い
心のセックスをしよう

心のセックスをしようぜ





この曲は、僕が昔お付き合いしていた女性が
「体のセックスより心のセックスをしようぜ」
というフレーズをTwitterで(僕と付き合う以前に)つぶやいていたのを僕が覚えていて、そのフレーズを歌詞に使えないかなと思って書いた曲です。

なので、墓泥棒結成以前に完成していた曲ということになります。

人を好きになった時の無敵感を歌った歌であり、改めて自分で見返しても「この時の俺、すげ~!」と思うほどに、無敵で最強な歌詞となっております。(まぁサビは自分のオリジナルではないのですが…汗)


特に自分で気に入っているのは2番のBメロで、

終わりの無い輪廻の途中に
たった百年の行きずり
救いようの無い生命の不条理に
臆すこともせずに
今日ただ愛し合うだけ

の部分です。

「死ぬまでずっと一緒にいる」という、一見とてつもなく難しく思えることを、「輪廻の途中の【たった】百年の行きずり」と言い切れてしまうところが恋愛のすごさですね。笑


その女性とは別れてしまったので、この曲を封印していた時期もありました。複雑な感情が混じってしまうとかではなく、逆に、もうその人のことを全然好きじゃないのにこの歌を歌うのは変だなと。

ただ、その後、自分の中で気持ちの変化があって、また歌うようになりました。

その頃の気持ちで歌うことはできないけど、紛れもなく過去の自分が残してくれた遺産であるし、何よりも、今の自分からしても素直に「いい歌だな。」と思えるようになったからです。

(この曲に限らず、そうやって復活させた曲は何曲かあります。)

曲に込められた想いを誰よりも理解していて、今でもいい歌だなと思える。ついでに言うなら著作権も自分にある。それなら歌わない理由も特に無いかなぁと。

まぁ、サビのフレーズを考えた人に「歌うな」と言われればちょっと考えますが、今のところクレームは来てないので、多分これからも大丈夫でしょう。笑


あと、最後に『カラコロ』というタイトルの由来について。
片仮名4文字で可愛らしい響きになっていますが、特に可愛らしい意味ではなく、単に「体のセックスより心のセックスをしようぜ」を省略したものです。体(カラダ)より心(ココロ)でカラコロ。

「それならカラココじゃね~の!?」
ってツッコミは受け付けていません。

以上、石井でした。