楽しい時間はここまでです。

墓泥棒のボーカル石井のブログ

歌詞紹介その3、『毒。』

早くも歌詞紹介シリーズ第3弾。

今回は、数少ない墓泥棒のバラードナンバーであり、僕が弾き語りライブをする際ほぼ毎回披露している『毒。』という曲の歌詞紹介をしたいと思います。

それでは、まず歌詞をご覧下さい。





『毒。』


例えば幸せを数値で表せるなら
僕らの人生はプラマイゼロ むしろマイ?

「生きたさ」と「死にたさ」を
いつも天秤にかけてる
「生きること」「死ぬこと」に
優劣などないともう知ってる

僕が言う「希望」だとか 君の言う「救い」だとか
それさえも長い目で見れば
本当は毒なのかもしれない

見たくなけりゃ見なくていい未来
知りたくなけりゃ知らなくていい世界だ
でも君が生きてくれるのなら
君がいる世界の続きがまだ僕は見たい

どっちに転んでも大して変わらないなら
僕と転ぼうぜ ずっとじゃれ合おうぜ
甘い甘いこの毒を 二人飲み干すのさ
あの夜じゃなく この夜に 僕ら心中しようぜ

難しいことじゃないんだ
大したことじゃないんだ
「生きる」など それで十分だろ?
君がいる世界の続きがまだ僕は見たい

君の瞳の奥に映る僕を見ていたい

どっちに転んでも大して変わらないなら
僕と転ぼうぜ ずっとじゃれ合おうぜ
甘い甘いこの毒を 二人飲み干すのさ
あの夜じゃなく この夜に 僕ら心中しようぜ

僕ら心中しようぜ





この曲を聴いたことがある方はご存知かと思うのですが、最初から最後までほぼ同じコード進行で、似たようなメロディーの繰り返しとなっております。

それには理由がありまして、この曲の歌詞を書き始めるに当たって意識していたのが【最初から最後まで全部サビである】というイメージです。

実際には「どっちに転んでも~」から始まる箇所が1番の終わりと2番の終わりで繰り越し歌われているのでここがサビなんですけれども、どこをサビに持ってきても良いぐらいパワーのあるフレーズを全編通して並べたつもりです。


「毒を飲み干す」や「心中しようぜ」等のフレーズが出てきたり「死」を連想させるような歌詞の内容なので、重くて暗い歌かと思われるかもしれませんが決してそういう意味で書いてはいません。むしろ真逆と言っても良いかもしれません。

僕は歌詞の中で屁理屈を並べるのが好きです。世の中の仕組みがどうであれ、宇宙の道理がどうであれ、「じゃあこのように捉えてみればどうだろう。」と発想の転換を計ることで、自分にとって都合の良いように物事を解釈するのです。

もちろん、この世界で生きていく上でそんな屁理屈がまかり通ることは少なく、大抵は文字通り、ただの屁理屈で終わります。でも、歌の中でなら何を言ったって自由です。

自分の中で勝手な解釈を組み立てて歌うことで、自分自身が救われることもある。もしかしたら、誰かが僕の屁理屈を聞いて笑ったり、共感したり、妙に納得したりして、ポジティブな気持ちになれるかもしれない。そういう瞬間が、自分で歌詞を書いて歌うことの一番面白い部分だと僕は思っています。


話を『毒。』に戻しますと、この曲の歌詞は、まさに屁理屈のオンパレードです。僕の屁理屈ワールドを、これでもかというくらいに展開しまくっています。

その一つ一つを解説していくととんでもない長文になってしまいますし、歌詞の意味を想像しながら音楽を聴くのが好きな方もおられると思うので、それはしません。

ただ、重くて暗い心中の歌だと思われていたら少し不本意なので、一箇所だけ解説しておきます。笑


「あの夜(よ)じゃなく この夜(よる)に 僕ら心中しようぜ」
この部分、なぜ一つ目は(よる)じゃなくて(よ)と読むかと言いますと、この(よ)という響きに【夜】という言葉だけではなく【世】という言葉の意味を持たせているからです。

つまり、ここでの「あの夜」は、「あの世」という意味でもあるのです。

二つ目は(よる)と読んでますが、一つ目の「夜」と同じ字を当てることで、(よる)と読みながらも、先ほどと同じく【夜】と【世】の二つの意味を持たせています。

即ち「あの夜じゃなく この夜に」は、
「あの世じゃなく この世に」でもあるわけです。

「あの世」はもちろん死後の世界を意味します。
「この世」は今生きている現世のことです。
歌詞の冒頭から続く「生」と「死」、「僕」と「君」についての話の結論をサビの最後の一文で述べています。


僕の場合、見たまんまで分かるストレートな歌詞が好きなので、こういうややこしいことはしないタイプなのですが、この部分に関してはこの方が美しいと思ったので少しひねった表現をしています。

あとは概ねストレートな表現なのでわかりやすいかと思います。

歌詞について詳しく聞きたいという方がおられたら、ライブ会場などでお会いした際に聞いていただければお答えしますので、お気軽にお声かけ下さいね。(他の曲についての質問もどうぞ)

歌詞についてはこだわっているので、注目して聴いていただけると僕自身とても嬉しいです。

そのくせ墓泥棒のライブでは歌詞が全く聞き取れないと言われるので、今年からは歌詞も届けられるように頑張っていきたいと思っております。笑


あと最後に、お詫びなのですが、2行目に出てくる
「プラマイゼロ むしろマイ?」
というフレーズは、昔「エンタの神様」というテレビ番組に出演されていた「こりゃめでてーな」というお笑い芸人さんのネタから拝借しました。(パクりました)
無断で引用してすみませんでした。

(ところで最近あの人達見ないけど何してるんだろ…。)

それでは今回はこの辺で。
石井でした。

決意表明

今年は墓泥棒にとって勝負の年と位置付けています。


墓泥棒が初めてライブを行ったのが平成25年の12月29日ですから、すでに3年が経過しています。

その間メンバーチェンジがあってライブをすることが出来ない期間があったり、メンバーの仕事の都合によりライブの本数が元々少ないこともありますが、頻度は低いなりにもライブ活動を3年続けて来たバンドのわりには知名度は低いと言わざるを得ないでしょう。

そう、僕たちは人気がありません。


ライブ活動をされている方なら承知のことでしょうが、ライブハウスでライブを行う際、出演者には「チケットノルマ(以下、ノルマと呼ぶ)」というものが発生します。

ライブハウスによって、あるいはイベントによってそのノルマの枚数や値段はまちまちですが、多いのは【メンバー1名につき4枚】というパターンでしょうか。

例えば僕らは4人編成なので、1回のライブにつき16枚のノルマが課せられます。すなわち「16枚はチケットを売ってくださいね(お客さん16人は呼んでくださいね)。」ということです。売れなかった場合はどうなるか?当然、自己負担です。だってノルマなのですから。

仮にチケット料金1500円(+ドリンク代500円)のライブで、お客さんを1人も呼べなかったとしましょう。その場合、

1500×16-0=24000

で、2万4000円が僕らの自己負担額となります。メンバー1人あたり6000円ですね。実際、お客さんゼロってことはあんまり無いんで(平均2~3人ぐらい大汗)、実際には全額では無いのですが、それでも大部分を自腹で賄ってるのが現状です。


いや、わかってるんですよ。重々わかってるんです。お客さんを呼べない、人気の無い我々が悪いんです。ただ…ベース木村くんのように音楽に全てを捧げる熱きミュージシャンの方々ならともかく、僕のような休日限定ロックンローラーにとって、このノルマはあまりにも高額です。

でもプロになりたいとか有名になりたくてやっているわけではないし、月に1~2本ライブするだけなら経済的負担もそこまで大きいわけではないから、「まぁ自分達が楽しければ良いか」と、お客さんが一向に増えない現状に永らく甘んじていました。



では、なぜ「今年は勝負の年」と言い張るのか?



これはバンドメンバーというより、僕個人の気持ちの問題によるところが大きいです。

僕ももう32歳という、それなりにいい歳になりました。仕事でも徐々に責任を負わなければいけない立場になり、プライベートでも結婚を考える時期に差し掛かっています。

今後、自分の自由に使える時間やお金が今よりずっと限られて来るでしょう。そうなった時に、

「お客さん入らないけど、まぁ楽しければ良いか…」
「ノルマ高いけど、ライブの頻度を減らせば良いか…」

そんな気持ちで、果たしてバンドに対するモチベーションを維持することが出来るでしょうか?


幸か不幸か、僕にはソロ(弾き語り)という活動手段があります。練習するのにもお金がかかるバンドと違って弾き語りは家でも練習できますし、アコースティックなライブだとバンドほど多くの機材を必要としないこともあり、バンドでのライブよりノルマが安い場合も多いです(ライブハウス以外の小さな会場でのライブなど)。

ノルマが同じ1人4枚だったとしても、バンドなら16枚のところがソロの場合たったの4枚。お客さん2人呼べたら半分クリアです。バンドならあと14枚売らないといけないのに。笑

正直、ソロでもバンドでも集客力はどっこいどっこいなので、普通に考えてずっと続けていけるのはソロかなと思います。

でも、果たして本当にそれでいいのでしょうか。


この飽きっぽい僕が曲がりなりにも10年近く音楽を続けて来れて、やっぱりソロよりもバンドという活動形態の方が好きで、僕の作る曲を好きと言ってくれる仲間にも恵まれて、本当にこのまま終わって良いのか。

自分が忙しくなって活動継続できなくなるまで惰性で活動して、自然消滅みたいな形で終わってしまったら、激しく後悔するのではないか。


だとするならば、答えは簡単です。

もっとお客さんを呼べるバンドになればいい。
もっと必要とされるバンドになればいい。

ノルマを達成することが出来ればタダでライブができるわけですから、もし結婚してお小遣いが少なかったとしてもライブし放題です。笑

「そんな簡単に客呼べたら苦労しねーよ!」
って言われるのは承知の上です。簡単ではないことはわかってます。コンスタントに16人ものお客さん呼ぶってことがどれほど大変なことかは想像に難くないですけど、千里の道も一歩から。

幸い、曲には自信がありますし、お褒めの言葉を頂戴する機会も少なくありませんので、ライブ自体の(ショーとしての)完成度を高めることや、自分たちの音楽を知ってもらう努力をより幅広く行っていけば、もっと世間に認知されるバンドになることは不可能では無いと思います。

今年こそ、いや、今年からは、お客さんが呼べるバンドを目指します。



具体的な数字は決めてないんですけど、今年中に飛躍のきっかけを掴めなかったら、はっきり言ってもう終わりだと思ってます。

だから今年が「勝負の年」なのです。

売れたいとか、有名になりたいとかより、ずいぶんと志の低い目標ではありますが、かなり切実な目標でもあります。

墓泥棒が数年先も存続できるかどうか。
石井智也がバンド活動を継続していけるかどうか。
それを賭けた闘いの一年です。

どうか、見届けてやってください。


長文になってしまいましたが、最後にライブ告知をさせてください。

3月12日(日曜)に、倉敷レッドボックスにて墓泥棒の今年1発目のライブを行います。今の墓泥棒の【覚悟】を歌う最新曲も披露する予定です。

背水の陣でぶちかましますので、どなた様も是非お越しになってください。


それでは。石井でした。

歌詞紹介その2、『クズになりそう』

石井です。

今回は歌詞紹介の第2弾です。このペースで歌詞の紹介を続けると、あっという間にネタ切れしてしまいそうですが、自分が飽きる前にどんどん書いていきたいと思います。笑

今回ご紹介するのは、墓泥棒のライブの定番曲となっている『クズになりそう』です。

それでは歌詞をどうぞ。





『クズになりそう』


いつだって僕は目の前に
ニンジンをぶら下げてもらえなきゃ走れないのさ
内面も見た目もカッコいい男でありたいけれど
誰かに褒めてもらえなきゃ 何が良いかさえわからない

産んでくれたお母さん お父さん ごめんなさい
いつからだっけな? この顔が大嫌い
愛情っていう借りっぱなしのローンを
今日もジャンプして パンクして 高飛び寸前

クズになりそう クズになりそう
今までどうにかこうにか世間と折り合いつけてきたけど
クズになりそう クズになりそう
やっぱり合わないみたい クズになりそう

そうやって自分を責めてれば
少しだけマシな人間になったような気になれるのさ
そして そんなところまで計算ずくで生きてる僕は
まったく心までシャクれてやがるぜ 不細工だな

「長生きしろよ」なんて
おじいちゃん おばあちゃん ごめんなさい
出来ることならば認知症になる前に死にたい
子供の頃 道徳の授業だけは得意だったのにな
日に日に固まる右脳 「どう解くの?」白紙で解答

嫌になりそう 嫌になりそう
古傷だって騙し騙しうまく付き合ってきたけど
嫌になりそう 嫌になりそう
そろそろ限界みたい 嫌になりそう

人に迷惑かけぬよう 欲に身を滅ぼさぬよう
ただ真っ当に生きること それだけを望んでたのに

産んでくれたお母さん お父さん ごめんなさい
先立つ親不孝者をお許し下さい
いったん立ち止まって休みてぇなって時に限って
信号は青ばかり この馬鹿に先へ進めと

クズになりそう クズになりそう
今までどうにかこうにか世間と折り合いつけてきたけど
クズになりそう クズになりそう
やっぱり合わないみたい クズになりそう

クズになりそう クズになりそう
クズになりそう





この曲の歌詞を書いたのは、墓泥棒を結成して半年ぐらいの頃です。

僕は音楽を始めた当初から、自分の中の汚い部分や負の感情などを歌詞にすることが多かったのですが、今思えば、意識はしていなかったものの【醜い自分に嫌悪感を持てる自分に残されている美しさ】みたいなものを、ずっと表現しようとしていたように思います。

しかし、年月が経ち人生経験を重ねた僕は、醜さというものに対しても鈍感になり、そうやって自分を美化しようとしている自分自身に対してさえ、白けた思いを抱くようになってきました。

なのでこの時期はあまり歌詞が書けず、過去に作った曲をアレンジして演奏したり、自分の内面ではないものを歌った曲を作るしかありませんでした。

「葬り去った過去を掘り起こすのが墓泥棒だから、過去の曲を演奏しても間違いでは無いだろう。」

そんな風に自分を納得させてはいたものの、やはりモヤモヤした思いは膨らむばかり。

「昔みたいに、その時の自分の気持ちをストレートにぶつけられるような歌詞はもう書けないのかな…。」

と、そんなことを考えていた時、ふと気づきました。
「いっそ、このモヤモヤしてる現状を歌詞にしてみてはどうだろう?」

そう思った僕は、頭の中に散り散りに存在していたたくさんの言葉をかき集め、一つの曲の中に詰め込みました。

歌詞が【浮かんでくる】という表現からは果てしなく遠い、歌詞を【掘り起こす】作業。それを重ねて出来たのがこの『クズになりそう』です。


端的に言うと、若い頃に当たり前のようになれると思っていた真っ当な人間像からどんどんかけ離れていく現在の自分に対する白けた思いと、まだギリギリ踏み止まれるのではないかという微かな(本当に微かな)期待との間の葛藤を歌った歌詞となっています。

この時期に考えたフレーズだけでなく、何年も前に思いついていたけど歌詞に使う機会が無かったフレーズで「広い意味で捉えれば今回のテーマと合致する」と思ったものも多く使っていて、それまでの僕と比べると強引と言ってもいいような手法で書き上げた作品です。

おかげでこの曲以降、そういう歌詞の書き方が出来るようになり、自分の歌詞のスタイルが一つ増えました。この曲を作ることができたのは墓泥棒にとっても僕自身にとっても、非常に大きかったと思います。


ところで、1番に
「ジャンプして パンクして 高飛び寸前」
という歌詞がありますが、これは当時僕が「闇金ウシジマくん」という漫画にハマっていたため、その漫画に登場する業界用語を使ったものであります。

※ジャンプ=債務者が借金の利息分だけを払い、元金の返済を先延ばしにすること

※パンク=利息が膨らみ過ぎて、債務者が借金の返済を行うことが事実上不可能になること

※高飛び=借金返済の義務を放棄した債務者が、闇金業者の取り立てから逃れるため海外等に逃亡すること

ちなみに、僕と同じ闇金ウシジマくんが大好きなドラムの田淵くんは、僕が説明しなくても歌詞の意味をすぐに理解してくれてました。笑

僕はこういう感じで、どこかで聞いて頭に残ったフレーズを歌詞の一部に使うのが好きなのです。(それについてはまたの機会に書きます)


全体的にかなりネガティブな内容の歌詞ではありますが、曲調はシンプルなパンクロックでメンバー内でもかなり人気のある曲のため、墓泥棒のライブには欠かせないナンバーとなっております。

また、僕個人としてもお気に入りの曲であり、弾き語りでライブする時もほぼ毎回歌っています。

サビの歌詞とメロディーはすごく覚えやすいと思いますし、お客様にも一緒に歌っていただけるとテンション上がりますので、ぜひお願いします。笑



それでは今回はこの辺で。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

音楽の話

音楽の話をするのが苦手です。


ライブで初対面の対バンの方々とお話する機会があると、必ずと言ってもいいほど「どんな音楽が好きなんですか?」「どんなアーティストを聴くんですか?」等の話題になります。

そういう時は大抵ブルーハーツとか言っときます。でも実際もう何年も聴いてませんし、ベスト盤しか聴いたことがありません。(めっちゃ好きですし、すごくカッコいいとは本当に思ってます)

音楽を聴くこと自体は好きだと思うんですが、自分の知らない新しい音楽を探して聴いてみようという欲求が全くと言っていいほど無いんですよね。音楽は運転中しか聴きませんし。


でも、その話題はまだマシです。これより厄介なのが、楽器や機材の話題。これが出てくると、もう完全にお手上げです。例えばギターの話。僕はアコギはモーリス、エレキはダンエレクトロというメーカーの物を使用しているのですが、どちらもギタリストの友人に選んでもらった(エレキは譲ってもらった)ので、正直、他のギターと比べてどうのこうの言われても全くわからんのです。

バンド活動を始めてもう10年近くになるのですが未だにこの調子ですから、よっぽど興味が無いのでしょう。マーシーが何のギター使ってるかも知りません。あ、最近やっとカッタウェイが何のことか知りました。そんなレベルです。


僕が対バンの人との会話で困るランキングはこんな感じです。


⑤好きなミュージシャン、好きな音楽ジャンルの話
→自分の中に確固たる好きなミュージシャンやジャンルが無いので、聞かれても答えづらい。逆に、相手の好きなミュージシャンのことを話されても知らないことが多い。

④地元ミュージシャンや地元バンドの話
→「〇〇さん知ってますか?」「今度〇〇と対バンするんですよ」等。
友達が少ないので、ほぼ知らない人達ばかりです。

③似ている(らしい)他のミュージシャンとの比較
→「〇〇に似てますね」「〇〇っぽいですね」等。①②とも関係してくる話ですが、圧倒的に知らないことが多いです。ブルーハーツとかミスチルとかで言ってくれたら助かるのですが、僕の知らない人達と比較されても反応に困ります。

②楽器や機材の話
→先述の通りです。

①(専門的な領域での)ライブの感想を言われる、あるいは求められる
→ここまで読んで下さった方々には分かって頂けたかと思いますが、僕の音楽の知識は演奏に関しても聴くことに関しても、素人同然です。なので、高度なレベルでの音楽的な会話はチンプンカンプンなのです。「メロディーが良かった」「歌詞が良かった」「声が良かった」とかなら分かるのですが、ややこしい専門用語とか使われると理解不能です。逆に感想を求められた場合も、「カッコ良かった!」とか「感動した!」「楽しかった!」等、小学生レベルのことしか言えませんので、ご容赦ください。



もし、今後対バンする方々やお客さんがこれを読んで
「じゃあお前には話しかけねーよ!」
って思われたらそれは悲しいのですが(笑)、誤解されたくないので付け足しておくと、僕は対バンの方々やお客さんと会話をしたくないわけではないのです。

ただ音楽の話が苦手というだけです。
(音楽が嫌いというわけではありません)

専門的な話は分かりませんが、どんなことを考えてその歌詞を書いたのかとか、どういう気持ちで音楽をしているのかとか、そういうことはとても興味深いので、そういう話がしたいです。あとは恋バナとかでもいいです。笑


なんとなく否定的な感じの内容になってしまったかもしれませんが、今年はなるべくライブハウスに足を運んだり、音楽で生まれた繋がりを大事にしようと思っているので、気軽に仲良くして頂けたら嬉しいです。

以上、石井でした。

歌詞紹介その1、『ゆ・め・み・が・ち ~墓泥棒のテーマ~』

石井です。


僕がこのブログを始めた大きな目的の一つは「歌詞の紹介」をすることです。今回は、第一弾としてバンドのテーマソングである「ゆ・め・み・が・ち ~墓泥棒のテーマ~」の歌詞を紹介していきたいと思います。

まずは歌詞をご覧下さい。





『ゆ・め・み・が・ち ~墓泥棒のテーマ~』


葬り去った愚かしき過去と押し殺した感情
墓前に線香を立てよう 弔いの花を手向けよう

あの日死んでった僕はそれで浮かばれるのかな?
犠牲に見合う価値のある僕はここにいるのかな?
なんてね

上手くやれるはず 僕なら
冷たい土の下 ずっと深く深く埋めた

そっと眠らせておけばいい なのに
今夜も奴らが騒ぎ出すんだ

夢見がちなゾンビの声が
暗闇の奥で響いている
その言葉に耳を澄ましては
何かやれると信じている

上手に生きるため今日も僕は自分を押し殺す
喉の奥まで来ていた本音も飲み込まれて溺死

生ける屍のような
腐った目をした僕に奴らがこう言った
「死んでる場合じゃねぇ そうだろ?」
だからまた僕は歌うんだ

夢見がちなゾンビの声が
あの日の続きを探している
その叫びに声合わせれば
名曲が ほら また生まれる

夢見がちなゾンビの声が
暗闇の奥で響いている
その言葉に耳を澄ましては
何かやれると信じている

何かやれると信じている
名曲が ほら また生まれる





それでは簡単に解説していきたいと思います。

前回のブログを読んで下さった方は分かって頂けると思うんですが、墓泥棒というバンドがどういったコンセプトで活動しているのか、どういう気持ちで曲を作って歌っているのかを、3分ほどの短い曲の中に簡潔にまとめた、自己紹介的な内容の歌詞となっております。

上手に生きるために自分を偽ったり、いろんなことを諦めて大人になったけれど、気がつくと屍のように腐った目をした人間になっていた。そこへ、"奴ら"(今まで自分が殺してきた自分自身)がゾンビとなって現れ、"僕"に語りかける。

「死んでる場合じゃねぇ、そうだろ?」

"僕"はゾンビの叫び声に耳を済ませ、声を合わせ、歌い始めた。そう、もう一度自分自身が生き返るために。こうして"僕"は、数多の名曲を生み出していくのであった…。


という感じです。


「自分で名曲って言うなよ」っていうツッコミもあるかも知れませんが、自分の作る曲めちゃくちゃ良い曲ばかりだと思ってるんで、敢えて言い切りました。笑

ちなみに、タイトルの「ゆ・め・み・が・ち」ですが、この曲ができた当時、東京五輪招致のスピーチで滝川クリステルが言って流行語にもなった「お・も・て・な・し」をもじってます。時代を感じますね。読みは普通に「ゆめみがち」で結構です。笑


それでは今回はこの辺で。
読んで下さり、ありがとうございました。
石井でした。

バンド名の由来

こんばんは。石井です。

今回は、「墓泥棒(はかあらし)」というバンド名の由来について書こうと思います。


墓荒らし(墓泥棒)とは、死者が埋葬されている墓場から財産的価値のあるものや、死体そのものを盗み出す行為、またはそれらの行為を行う者を指します。

なぜ「墓泥棒」と書いて「はかあらし」と読むかと言いますと、単純に、字面は墓泥棒の方がカッコ良くて音の響きは「はかあらし」の方がカッコ良いと思ったので、良いとこ取りで当て字にしたのです。


で、なぜそんなバンド名にしたかと言いますと、我々のバンドのキャッチフレーズである、

「押し殺した感情、葬った過去。眠らせておくわけにいかないから、掘り起こして歌にする。」

という言葉にもありますように、自分自身の「消したいけど消せない記憶や想いが心の奥底で眠っている場所」、それを墓場に例え、そこから歌詞や曲を掘り起こし、楽曲という財宝を手にする…。

そういう集団だから「墓泥棒」。
そんな思いで名付けました。


あと、MCとかではあまり言ってないんですが、実はもう一つ由来があります。

このバンドの前身で「スパゲティー症候群」というバンドが以前ありまして、そのバンド名は「延命状態」を意味しています。(チューブやセンサーなどが全身に取り付けられている様子をスパゲティーに例えた隠語だそうです。)

“バンドがあるからギリギリ生きていける”
そんな私、石井の心理状態を表してそういうバンド名を付けたのですが、そのスパゲティー症候群が活動を休止してしまったので、ある意味で石井はそこで死んでいたのです。笑

しかし、新たに終結したメンバーたちの手によって、再びバンドをやるべく、石井は墓から掘り起こされた…。

つまり、僕以外のメンバー達こそが、石井の墓を荒らす墓泥棒ということです。笑


いかがだったでしょうか?
ライブのMCなどでもさんざん言ってるので、知ってる方も多かったかもしれませんが、知らなかった方は覚えていただけると幸いです。

これからも、自らの墓を掘り起こし、たくさんの曲を書いて歌っていきたいと思います。

それでは。石井でした。